我々、人間と動物の違いって
1つは言葉によるコミュニケーションができることではないでしょうか??

言葉の発展があったからこそ、
科学や文明が進歩したといっても過言ではありません。

そんな言葉による会話、
コミュニケーションですが、
人が寝る、食べる、呼吸するがごとく、
できて当たり前、という認識があると思います。
とはいえ、
人見知りだったり、言葉にするのが不得手だ、という人もいるので、
コミュニケーションを苦手としている人がいるのも事実。
でもね?
ゆうて、苦手とか、能力不足くらいの感覚なんですよね。

今回の記事では、
そもそも苦手とか能力不足の話しではなく、
会話に向いていないタイプが一定数いるよ、というお話しです。

知っているか知らないかで対応の仕方が
大きく変わるので知っておいて損はないと思います。

 

 

会話には2パターンの型がある

私がこのことに気づいたのは36歳くらい時です。
私も当初、会話が苦手な人って
知識や情報不足、勉強をしていないことによる
能力不足だと思っていました。

ゆえに、
きちんと指導してあげて
やり方さえ教えてあげたら誰だって
上手になれる。
あとは本人のやる気の問題だって思っていました。

でもそれは違いました。
能力不足なのではなくて、
そもそも会話に向いていないんです。
だから、
どんなに知識や情報を詰め込んでも
基本的には難しいと理解した方が良い。
そう割り切った方がお互い気が楽になるのです。

ではなぜに難しいのか??
それは会話には2パターンあることをお伝えします。

 

発展型と連想型

会話には
“発展” と “連想” の2つの型があります。

発展型とは、
一つの会話を縦にも横にも奥行にも
広げられるタイプのこと。
一般的にはこのタイプが多く、
私も発展型なので特に何というワケではなく、
それが当たり前だとずっと思っていました。

で連想型ですが、
連想型というのはその名の通り、
頭の中で連想したモノを口にしてしまうタイプです。
なので、
ある会話をしている最中に、全く関係ない話題を
いきなり放り込んできたりします。

私が発展型の人達に説明する際によく使う例として、
連想型の人は、頭の中でマジカルバナナをしているよ、と
なので例えば、
我々がバナナの話で盛り上がっていると連想型は、
(バナナといったら黄色、黄色と言ったらロフト!!)ってなって、
いきなりロフトの話しをし出します。
我々はそんなの知らないから、
ロフトのバナナの話しをするのかな?って聞いていても
一向にバナナの話しが出てこないので、
最終的には「なんの話しやねん」ってなるワケです。

 

連想型の特徴

人間というのは
学校や会社、趣味などのコミュニティを形成する生き物なので、
会話ができないというだけで
そこそこ生きにくい世の中になっています。

実際、連想型と話していると、
は?なに言ってんの??
本当に分かっているの??
なんで分かんないの??ってことが多々あります。
あと、
悪気なく人を傷つける発言をしたり、
空気が読めない行動をしたりします。
話しを聞いていそうで聞いていないってこともあります。

しかし、それらは会話を評価基準としているからであって
評価基準を変えてあげれば
連想型には目を見張る能力があります。
それは ”一点集中能力” です。

ある一つの事に、
例えばこだわりや、好きな事とかですね、には
恐ろしい能力を発揮します。

いわゆる連想型は天才型ともいえます。

逆に、
連想型は複数の事を同時にこなす能力がありません。
だから、
〇〇しながら〇〇して、〇〇しなければならない、が難しく
ゆえに世の中が求めている
仕事ができない、会話ができない、に直結するのです。
実際は、
単調な仕事だったら人よりもこなせますし、
単純な会話だったら問題なくできるのです。

バカと天才は紙一重、とは言いますが、
もしかしたら突出した連想型が天才と呼ばれ称され、
理解されなかった連想型が異端扱いされてきたかもしれません。

実際、
英雄扱い、有名人に連想型が多いというのも事実なのです。

 

そもそもなぜ揉めるのか??

古今東西
人間は分からないモノ、理解できないモノに対して
過敏に反応してきた歴史があります。

西洋では魔女狩り、なんてことやってたし、
最近の話しだと、コロナが流行してパニックになったのは記憶に新しいです。

しかし、
正体が判明してしまえば人間は急に冷静になります。
魔女狩りなんて今の感覚で言えばあり得ないし、
コロナも5類扱いされて誰も騒がなくなりました。

このように、
人って理解出来れば冷静になれるんですよ。
だから、
世の中には ”連想型” がいるんだよって分かれば、
もっと人に優しくなれるんと思うんですよ。
キレイごとじゃなくて

もっと言うと、
同じ人間だと思うから争いが起こる

この ”同じ” と思う感覚が本当に
話しをややこしくしています。

同じ人間でも
国や地方が違うだけで全然違う。
性別が違うだけで全然違う。
会話のタイプが違うだけで全然違う。
そもそも同じ人間なんていないのかもしれない。

相手は同じ人間ではない宇宙人だとでも思ってしまえば、
理解しようとする気持ちが生まれる。
それこそが配慮とか優しさに繋がっていって、
争いのない世界に出来るのかもしれない。